梼原町の成り立ち
町の成り立ち
本町は、延喜13年(913年)津野経高公がこの地に入り、開拓によって津野荘を築いて以来687年間津野氏の所領となり、地域の政治、文化の中心地として発展してきました。慶長5年(1600年)山内氏の所領となり、梼原6ケ村東津野3ケ村をあわせて 「津野山郷」と称し、明治維新の変遷を経て明治22年(1889年)の、梼原、越知面(おちめん)、四万川(しまがわ)、初瀬、中平、松原の6ケ村を「西津野村」と改称し、全国屈指の大村として発足しました。明治45年(1912年)村名を「梼原村」と改...
町の成り立ち
本町は、延喜13年(913年)津野経高公がこの地に入り、開拓によって津野荘を築いて以来687年間津野氏の所領となり、地域の政治、文化の中心地として発展してきました。慶長5年(1600年)山内氏の所領となり、梼原6ケ村東津野3ケ村をあわせて 「津野山郷」と称し、明治維新の変遷を経て明治22年(1889年)の、梼原、越知面(おちめん)、四万川(しまがわ)、初瀬、中平、松原の6ケ村を「西津野村」と改称し、全国屈指の大村として発足しました。明治45年(1912年)村名を「梼原村」と改...