定福寺
定福寺は、真言宗智山派に属し、神亀元年(724)僧行基によって草創され、仁王門、教院、御長屋、大師堂、鐘楼等並び立ち壮麗を極めていたと伝えられる。近世に至って明和-安永(1764~1780)の頃火災にあい、本堂を焼失したが、仏像は、その難をまぬがれた。その後藩主山内豊雍により安永8年(1779)本堂の再建が完成した。
その後明治18年再び火災にあい本堂を残して仁王門、庫裏等の建物はほとんど焼失した。現在の庫裏は明治18年(1885)に石堂の朝倉家(安政4年(1858)建造)を移築したものである...
定福寺は、真言宗智山派に属し、神亀元年(724)僧行基によって草創され、仁王門、教院、御長屋、大師堂、鐘楼等並び立ち壮麗を極めていたと伝えられる。近世に至って明和-安永(1764~1780)の頃火災にあい、本堂を焼失したが、仏像は、その難をまぬがれた。その後藩主山内豊雍により安永8年(1779)本堂の再建が完成した。
その後明治18年再び火災にあい本堂を残して仁王門、庫裏等の建物はほとんど焼失した。現在の庫裏は明治18年(1885)に石堂の朝倉家(安政4年(1858)建造)を移築したものである...