土佐北街道(立川参勤交代道)
高知城下から愛媛県川之江・丸亀両港に至る土佐北街道の一部である立川(たじかわ)参勤交代道は、大豊町葛原(かずらはら)から愛媛県堺の笹ヶ峰峠までのおよそ20kmに及ぶ、峠越えと谷筋に沿って築かれた街道です。
この道は約1,200年前の平安時代初頭に新たな官道(国道)として、人や物資の移動を目的に開発されたことで、立川地区にその歴史を刻み始めました。江戸時代には藩主 山内氏が江戸とを往来する参勤交代道として、歴史的にも重要な役割を果たしてきました。また幕末の頃には、坂本龍馬が立川番所に近い荷...
高知城下から愛媛県川之江・丸亀両港に至る土佐北街道の一部である立川(たじかわ)参勤交代道は、大豊町葛原(かずらはら)から愛媛県堺の笹ヶ峰峠までのおよそ20kmに及ぶ、峠越えと谷筋に沿って築かれた街道です。
この道は約1,200年前の平安時代初頭に新たな官道(国道)として、人や物資の移動を目的に開発されたことで、立川地区にその歴史を刻み始めました。江戸時代には藩主 山内氏が江戸とを往来する参勤交代道として、歴史的にも重要な役割を果たしてきました。また幕末の頃には、坂本龍馬が立川番所に近い荷...