樋口真吉
樋口 真吉(1815~1870)
文化12年幡多郡中村(現四万十市中村小姓町)の郷士(足軽)の家に生まれる。
19歳で学問に志し遠近鶴鳴(とおちかかくめい)に学び、のち諸国を遊歴して剣術・槍術・砲術を修行。
23歳のとき筑後柳川(ちくごやながわ)の大石神陰流(おおいししんかげりゅう)(大石進)に入門し、印可(免許)受け帰郷後、中村に家塾を開き、門弟は1,000人に及ぶ。幡多・香我美郡及び高知城下町奉行の下役を歴任。
土佐西部の勤王党の盟主として知られ、藩主の上京に扈従(こじゅう)...
樋口 真吉(1815~1870)
文化12年幡多郡中村(現四万十市中村小姓町)の郷士(足軽)の家に生まれる。
19歳で学問に志し遠近鶴鳴(とおちかかくめい)に学び、のち諸国を遊歴して剣術・槍術・砲術を修行。
23歳のとき筑後柳川(ちくごやながわ)の大石神陰流(おおいししんかげりゅう)(大石進)に入門し、印可(免許)受け帰郷後、中村に家塾を開き、門弟は1,000人に及ぶ。幡多・香我美郡及び高知城下町奉行の下役を歴任。
土佐西部の勤王党の盟主として知られ、藩主の上京に扈従(こじゅう)...